命の重さ

2004年6月16日
 なんで人を殺してはいけないか?バカの壁を書いた養老さんはいいます。死んだらもとには戻らないから。長崎で起きた事件での被害者のお父さんの手記です。

さっちゃん。今どこにいるんだ。母さんには、もう会えたかい。どこで遊んでいるんだい。
 さっちゃん。さとみ。思い出さなきゃ、泣かなきゃ、とすると、喉仏が飛び出しそうになる。お腹の中で熱いボールがゴロゴロ回る。気がついたら歯をかみしめている。言葉がうまくしゃべれなくなる。何も考えられなくなる。
 もう嫌だ。母さんが死んだ後も、父さんはおかしくなったけれど。それ以上おかしくなるのか。
 あの日。さっちゃんを学校に送り出した時の言葉が最後だったね。洗濯物を洗濯機から取り出していた父さんの横を、風のように走っていった、さっちゃん。顔は見てないけど、確か、左手に給食当番が着る服を入れた白い袋を持っていたのは覚えている。
 「体操服は要らないのか」
 「イラナーイ」
 「忘れ物ないなー」
 「ナーイ」
 うちの、いつもの、朝のやりとりだったね。
 五人で、いろんな所に遊びに行ったね。東京ディズニーランドでのことは今でも忘れない。シンデレラ城に入ってすぐ、泣き出したから父さんと二人で先に外に出たよな。父さんは最後まで行きたかったのに。なんてね。
 でも、本当にさっちゃんは、すぐに友達ができたよな。これはもう、父さんにはできないこと。母さん譲りの才能だった。だから、だから、父さんは勝手に安心していた。いや、安心したかった。転校後のさっちゃんを見て。
 母さんがいなくなった寂しさで、何かの拍子に落ち込む父さんは、弱音を吐いてばかりだった。「ポジティブじゃなきゃ駄目よ、父さん」「くよくよしたって仕方ないじゃない」。何度言われたことか。
 それと、家事をしないことに爆発した。ひどい父さんだな。許してくれ。
 家の中には、さっちゃん愛用のマグカップ、ご飯とおつゆの茶碗、箸、他にもたくさん、ある。でも、さっちゃんはいない。
 ふと我に返ると、時間が過ぎている。俺は今、一体何をしているんだ、としばらく考え込む。いつもなら今日の晩飯何にしようか、と考えているはずなのに、何もしていない。ニコニコしながら「今日の晩御飯なあに」と聞いてくるさっちゃんは、いない。
 なぜ「いない」のか。それが「分からない」。新聞やテレビのニュースに父さんや、さっちゃんの名前が出ている。それが、なぜ出ているのか、飲み込めない。
 頭が回らないっていうことは、こういうことなのか。さっちゃんがいないことを受け止められないってことは、こういうことなのか。これを書いているときは冷静なつもりだけど、書き終えたら元に戻るんだろうな、と思う。
 さっちゃん。ごめんな。もう家の事はしなくていいから。遊んでいいよ、遊んで。お菓子もアイスも、いっぱい食べていいから。

 この事件、被害者の方の気持ちを考えると胸が痛みます。もう被害者の写真を載せるのは控えた方がいいんじゃないか?マスコミの方々、報道するのは自由ではありますがこの事件に関わっている人の気持ちを考えて報道してください。

 追記
やっぱり新聞や電車の中には週刊誌の広告欄には顔写真が加害者の写真が載っていないのになぜ被害を受けた人間の顔がさらされなきゃいけないんだ?(もちろん加害者の顔写真を載せるのも反対です。加害者の親を含む関係者も地獄だよ)
  
 チャットやネットが問題視されるのも意味がわかんない。じゃあ小学生に包丁もたせるなと言うのと同じ論理じゃないのか?大人でもマナー違反している人間は多い。臭いものにはフタではなく子供の時から少しずつ免疫つけさせていくことの方が大切なんじゃないかな?ってそもそもこーいうこと言っている大人自体がネットに関して無知なんだろうな。子供の方が進んでいる。
 
 あと大臣のみなさん。あまりに無知な発言はやめてください。マスコミに誇大に一部分だけを報道されているのかもしれませんが自身の影響力を少しは考えてください。大臣や議員してるんだから頭いいんでしょ?

   自分は社会に生かされている。自分もかなり未熟な人間だけど人の心の痛みを感じれる人間になりたいです。
 

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